ビーバーの寺子屋

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日本語の「に」という助詞について考えよう【不思議な助詞の世界】

日本語の「に」について考えたことはありますか。この一文字が表す意味の多様性を少し覗いてみませんか。

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助詞と「に」について

助詞とは、付属語のひとつで、自立語に付属して語句と語句の関係を示したり、陳述に一定の意味を加える働きをするものです。「が」とか「を」とか「で」みたいなやつです。ここで挙げたのは格助詞ですが、ほかにも副助詞、係助詞、終助詞などなど、助詞にも色々な種類があります。

「に」の例文

格助詞の中でも、とくに厄介なのが「に」です。以下に例文を挙げますが、それぞれ異なる用法で使われています。

  • ビーバーさん本をあげます。
  • ビーバーさんを放します。
  • ビーバーさんは彼女微笑みました。
  • ビーバーさんは家帰ります。
  • ビーバーさんは先生なりました。
  • ビーバーさん褒められました。
  • ビーバーさんは体良くない。
  • ビーバーさんがいます。
  • ビーバーさんは朝7時出発します。
  • ビーバーさんは洗濯し行きます。
  • ビーバーさん山田さん。川のアイドル。
  • ビーバーさんの真面目さびっくり。

などなど。動詞の連用形について強調する場合もあります。(例:ビーバーさんは歌い歌って、声が枯れた。)  一見すると同じ用法かと思うものも、例えば移動の到着点を指すのか、動詞(行為)の対象を指すのかなど、違いがみられます。

普段私たちはどの用法だろうなんて考えずに「に」を使いこなしています。みなさんスゴイ!

 短文に見る「に」

私見ですが、この「に」という助詞は短文と相性が良い気がします。

 例を挙げましょう。

雨に唄えばSingin' in the Rain

 1952年公開のアメリカのミュージカル映画ミュージカル映画の傑作と名高く、特にジーン・ケリーが土砂降り雨の中でタップダンスをしながら主題歌を歌うシーンはとても有名です。

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突然の大雨で傘も持っていない、そんなとき「もう思い切って濡れちゃおっかな」なんて思わせてくれる歌です。もちろん、タップダンスまですると周りの人に引かれそうなのでやりませんが。

YouTubeのコメント欄にもありますが、この映画のタイトルを「雨に唄えば」と訳した翻訳家は天才だと思います。この映画の原題は"Singin' in the Rain"、直訳すると「雨の中で歌う」です。ここで助詞の「に」を登場させて、違和感なく訳している。素晴らしいセンスです。

ここでの「に」は何を意味しているのでしょうか。ビーバーさんの例文でいえば、「ビーバーさんは彼女に微笑みました」と同じような感じかなと思います。つまり、動作の対象を示している「に」です。この場合相手は人ではなく雨ですが、親しみを込めて雨「に」唄っているのかなと。

「に」には動作・作用の原因・理由を表す用法もあります。ビーバーさん例文だと「ビーバーさんの真面目さにびっくり。」のやつです。これは短文でもよく使いますね。「歓声に涙」とかかな。ただしこれだと、「雨が原因・理由で唄った」という因果関係が必要になる気がしますが、どうも不自然です。「急な大雨に悲鳴あがる」とかだと分かりますが、雨降ったからって普通は唄わないですからね。

田園に死す

1974年公開の寺山修司の映画、そして同氏の1965年の歌集のタイトルです。

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 寺山修司の自伝的作品であり、過去を虚構として表現する非常にシュールな作品です。はじめて観たときは衝撃を受けました。土着の因習、エロス、サーカス、イタコ、母殺し、、。様々な要素が混合した独特の世界観に圧倒されました。映画の内容はさておき、やはりここでもタイトルに「に」が使われています。

この分析は難しい。「雨に唄えば」の場合は状況が一目瞭然ですが、「田園に死す」はより抽象的な表現です。一般的に考えれば「動作・作用の行われる場所を指す」用法でしょう。つまり、「で」で言い換え可能です。「雨に唄えば」の場合も、「雨の中で唄う」と言い換え出来ましたね。「雨で唄えば」は無理があります。これだと唄う手段を指している。「中」という場所を意味する語句があって初めて言い換えが成立します。「田園」は、この点はクリアしていると言えるでしょう。

そうそう、もっと有名な映画がありましたね。「ベニスに死す」(1974)です。マーラーの音楽が有名な作品。これも英題はDeath in Venice、イタリア語でMorte a Venezia、フランス語でMort à Veniseです。(ごめんなさい伊語・仏語は詳しくないです。)

こうしてみると、英語のinは「に」と相性がよさそうです。「ベニスで死す」だとなにかしっくりこない。やはり重要なのは、「に」と「で」の違いを理解することのようです。

「に」と「で」の違い

 これは非常に厄介な問題です。同じ用法の場合は交換が可能ですが、語感としてしっくりくるときとこないときがあります。

「で」は動作・行為性の動詞の場合に、「に」は存在性の動詞の場合に用いられるという指摘があります。なるほど、「~で…する」、「~に…(〇が)ある・いる」というわけです。言われてみればそうですね。

しかしこの場合、「雨に唄えば」がうまく説明できません。「唄う」はまさしく動作・行為ですが、「に」が使われている。ここでの「に」は「動作・行為が行われる場所(時間)」を示す用法ではなく、やはり「で」には無い「動作の対象」を示す用法であると考えることが出来ます。つまり、英語のin には無い意味で「に」と訳したことになります。改めて訳者のセンスが光りますね。

では、「田園に死す」「ベニスに死す」はどうでしょうか。「死す(死ぬ)」も動作・行為のひとつですが、「に」が使われています。この場合は明らかに「場所」を示す用法なので、どちらの助詞も使えます。この場合は、前述の指摘の例外ともいえるものでしょう。これは語感の問題であり、つまり「動作・行為性の動詞と共に「に」を用いたときの語感」を考えねばなりません。

う~ん、難しい。

a)森で家を建てた。
b)森に家を建てた。

「で」の場合は動作そのものに目が行きます。つまり、「建てた(建てられた)家はどこにあるか?」という問いに対して、b)なら「森です」と答えられそうですが、a)だと「絶対に森にある」とは限りません。あくまで「(森で)家を建てた」という動作が明示されているだけです。

c)学校で校舎を建てた。
d)学校に校舎を建てた。

これだと、d)の方が自然な感じがしますね。主格が無いので何とも言えませんが、場所と目的語、そして動詞のスケール感?にはなにか制限があるのかもしれません。同じ場所を示す用法でも、少し違ったイメージを持つ場合がありそうです。

e)灯篭を川で流した。
f)灯篭を川に流した。

上手く言葉にできませんが、f)の方がベクトルを感じます。→がある感じ。

こう見てみると、「に」でも動作・行為性の動詞とうまく結びつきうることが分かります。

とりあえず、「で」は行為の方に、「に」は場所の方に重点を置いた表現であるとでも言いましょうか。しかし全く同じ「場所を指す用法」の場合、どっちが場所を強調しているかは判断が曖昧な気もします。あ、短文で回答する文ならたしかに行為性と存在性を区別できますね。

A: 昨日はスキーに行ったそうじゃない。ねぇ一体どこで滑ったのよ?(しつこく)
B: 蔵王で!! (*蔵王に!!)

A: ねぇ私のスマホどこに置いたのよ?ねぇ~!
B: 机の上(に)!! (*机の上で!)

(*は許容されないことを示します)

ただ、二つ目の例文はどこに「あるか」を答えているのかどこに「置いたのか」を答えているのか微妙です。

結論、よくわかりません

ごめんなさい、今度しっかり論文や文献をみて調べてみようと思います。個人的には、「に」の方が詞的な表現なのかな~とか思ったりしますが、こんなフザけた意見は通りません。 この辺に詳しい方、アドバイスやおすすめ文献をコメントで教えて下さると幸いです。詳しくない方も、日常の中にあふれる「に」と「で」について、すこし考えてみてください。どっちがしっくりくるのかを。