ビーバーの寺子屋

絶賛就活中の大学生の日常とお勉強。

不思議な夢のはなし

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夢って不思議ですよね。

現実ではないけど、現実と無関係でもない。潜在意識の表れとも言われます。

子どものころ、よくブランコから落ちる夢を見ていました。どこの公園かも、一緒に遊んでいる友達がいるのかもわからない。でも、なぜかブランコに乗っているんです。

そうしてそのうち、私はブランコから落ちます。飛んでいく、といった方が正確ですが。

夢にも重力はあるようで、私は地面に落ちていきます。地面にぶつかるその瞬間に、私は夢から覚めるのです。この夢にどんな意味があったのか、いまだに分かりません。

あるいは、昔付き合っていた人と別れたあと何か月か、その人が夢に現れてくることもありました。

一緒に遊びに行った場所とか、その人と過ごした何気ない場面が夢で再現される。

私の夢には音も匂いもありません。イメージだけが存在します。そして目覚めると、夢の記憶は急速になくなっていく。

はっきり言って嫌でした。

忘れたい過去なのに、私の潜在意識は「忘れたくない」と言っているようで嫌でした。

眠りが浅い時によく夢をみるようで、特に二度寝したときによく夢を見ます。

夢の中で自分の奥底にある感情を見せつけられるのが嫌で、私は二度寝をしないようになりました。夢をみたくがないために、早起きさんになったのです。珍しいでしょう(笑)

インセプションという映画があります。夢の中に潜っていき、あいての心理に入り込んでいく。マトリックスという有名な映画も、機械に繋がれて夢の世界に生きる人々が出てきます。

はたして夢とはなんなのか。いまだに解明されていないことだらけです。

ところで、機械は夢をみるのでしょうか。

見ない、と多くの人は思うでしょうし、私もその一人です。

なぜか。「眠らないから」でしょうか。私たちが夢を見るには、まず眠らなくてはなりません。しかし機械は眠らない。起きてばかりです。あるいは電源を切れば、機械は「生きて」さえいないことになります。

では、機械にとって夢と現実の境界もないということでしょうか。そもそも彼らには夢が存在しませんから、対立概念としての現実もないのかもしれません。

そう考えると、夢の存在が現実を現実たらしめていると考えることが出来るかもしれません。私たちが日中起きている時間に経験しているのは現実の世界。それは、夢の反対としての世界。

ただし、夢を見ている存在としての、肉体としての私たちはあくまで現実の世界にあります。意識だけが夢の世界へと足を踏み込めるのです。

こう考えると、意識の重要さが思い知らされます。今私たちが生きている世界が現実だという証拠はどこにあるのでしょうか。

ほっぺたをつねってみると痛いでしょう。「痛い」という事実が現実の証拠であると考えるかもしれませんが、果たして十分でしょうか。

映画マトリックスに、一人の男がステーキを口に入れ、旨そうに頬張るシーンがあります。男は知っています。「ここにステーキは存在しない」と。「美味しい」とか、「ジューシーだ」という情報が、電気信号として脳に送られているに過ぎないのです。

痛覚も感覚の一つにすぎません。単なる電気信号です。

夢でブランコから飛び降りたとき、「地面にぶつかると痛いぞ」と判断しているのは、果たして夢の中の私でしょうか。それとも現実の世界にある私でしょうか。

自分の存在が現実のものなのかどうか確かめるのは難しいですが、第三者の目があると少しは安心できます。他者の存在が、自分の存在を支えてくれるわけです。

ところで、夢の中で、これが夢だと気づくことができる人がいるようです。羨ましい限りです、やりたい放題できるじゃないですか(笑)

そういえば、犬も夢をみるようです。

小学校2年生くらいのころ、家に一匹のラブラドールレトリバーがやってきました。

人間以外の動物と触れ合う機会って、実はあんまりなかったりします。その点、私は犬という動物に毎日触れ合えることができ、幸せでした。

沢山のことを教わりました。

犬も笑う。犬も悲しい顔をする。

そして、犬も夢を見るということも教わりました(笑)

寝ている犬を眺めていると、時々足をピクピク動かして、鳴いたりしています。

夢の中でも走っているのかな、夢の中でも鳴いているのかなと子供心に考えました。

みなさんはどんな夢をみますか。

決まって出てくる人や光景はありますか。

ある意味、夢は現実の写し鏡なのかもしれません。

でも、もし永遠に目覚めない夢があったなら、「夢」や「現実」なんて言葉は、きっと意味をなさなくなることでしょう。その世界がすべてですから。